2007年09月20日
古墳時代とは?
3世紀末から7世紀末まで、前方後円墳という日本独自の形式の墳墓が日本全域に造られた。この時期にヤマト王権が倭の統一政権として確立し、奈良県桜井市の箸墓古墳が初期のものとされることから、前方後円墳はこの時代にヤマト王権が倭の統一政権として確立してゆくなかで、各地の豪族に許可した形式であると考えられている。3世紀の後半から奈良盆地に王墓と見られる前代より格段に規模を増した前方後円墳が出現し、4世紀の初めには河内平野に巨大古墳が築造され、この世紀の終わり頃には畿内の一部に先進的な群集墳が現れる。つづく5世紀の半ばには、各地に巨大古墳が築造されるようになる。それが、6世紀の終わりには日本各地で、ほぼ時を同じくして前方後円墳が築造されなくなった。これは、ヤマト王権がより強力な政権へ成長したことの現れだと解されている。この後しばらくの間、方墳や円墳は造り続けられる。
対外関係としては、4世紀以降朝鮮半島に進出し、新羅や百済を臣従させ、高句麗と激しく戦ったことが広開土王碑文などから知られる。5世紀には倭の五王が中国に使者を遣わした。倭が朝鮮半島で得た鉄は、甲冑、武器、農具に用いられた。中国と朝鮮から、文字と仏教・儒教がもたらされた。この時代の人々は土師器と須恵器を用いた。
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